「原爆と原発。似た音を持つ20世紀の発明は、ともに核分裂の熱を使う。一つは人殺しに、一つは発電に。しかし放射線は善悪を弁(わきま)えない。この猛獣を地震国で飼いならすのは難しいというのが、福島の教訓だ」
これは8月6日の朝日新聞の天声人語です。
ふと、何かの本で読んだことを思い出しました。そのころ私は原子核物理学を勉強していました。そのことは悪なのかどうか、そして、原爆について考えていたころのことです。その本には、科学と技術の違いについて書かれていました。科学には善悪はない、それを、応用した結果、つまり。技術には善悪が存在するというものです。科学は哲学で、技術は倫理学だというのです。
原発も原爆も技術です。常に悪の槍玉の原爆、それに対し善とみなされてきた原発は一瞬にして悪に変わってしまいました。社会環境や見方によって善と悪はどんな風にでも変わるというのをまのあたりにしたような気がします。
多くの人が悪の根源にのようにみなしている放射線。しかし、放射線は技術ではありません。科学です。放射線も自然の有様の1つです。地震も津波も自然。そして、人も自然です。人という自然が、技術をとおして人という自然を破壊しています。
原発をやめるとか言う議論があります。これで原子力の研究は下火になるのでしょうか。原発をやめると原子力や核兵器の知識や技術がとぎれてしまって世界に対する日本の発言が弱くなるという意見をTVで述べている人がいました。これはやや楽観的な考え方です。原発事故という十字架を背負ってしまた日本は原子力の事故の後始末というとてつもない仕事をやりとげないといけません。核のごみの後始末の問題を先送りして、原発をスタートさせてしまったことにたいするつけがこれから重くのしかかります。
放射線の技術で1つ大事なことを忘れていました。がんの診断や治療に使われています。X線という放射線を使用するCTという装置で小さな癌を確認してもらったおかげで私は今生きていられるのも事実です。