2011年5月26日木曜日

手術後第2回目チェック

手術後の第2回目のチェックのためCTをとりました。無事、クリアしました。よかった。

帰り、鴨川べりで、名取裕子をみかけました。ドラマの撮影中みたいでした。検事さんかな。

2011年5月23日月曜日

原発は日本では無理?

原発で事故は絶対に許されない。

最近のニュースを見ていて日本では原発を運営するのは無理だという思いになっています。

技術的には高いと信じたいし、世界にも負けない技術力があると思います。しかし、今問題にしているのは技術的な話ではありません。原発を引っ張っていっている人たちの言動や組織的動きのまずさ、安全に対する向かい方、政治力の弱さ、いいのがれ、あげればきりがありません。本当は事故収束のために、日本の中枢が技術力を結束できるよう動かないといけないの、足をひっぱっているようにさえ見えます。
また、日本語は非常に曖昧で、阿吽の呼吸でコミュニケーションが図られます。文学上のことならとてもいいことだと思います。しかし、論理的にきちんとコミニュケーションをとらないといけないときに、此の曖昧さがでてくるととんでもないことが起きてしまいそうです。ひとつひとつ確認を取りながらコミニュケーションをとらないといけません。私も仕事で人に質問されたとき、よく、なんでそんなことを聞くのかと逆に質問します。それは、答えは1つではなくて、状況に応じた答え方をしないといけないからです。

重大事故の起きないよう何重にも安全策を打っていて、すべてがだめになる確立は殆どゼロに近いという議論がされます。ところが、これには、ひとつひとつの安全策がだめになるのは独立事象であるという条件があります。問題が起きた時に、連鎖的に次の問題がおきるようではだめです。対策がだめだと怒鳴り散らす首相、多分、それに呼応した電力会社。いずれもが、連鎖反応的に起きている事象です。

また、確率はゼロではないとコメントする委員長。そんなものは子供でもいえます。知識をきいているのではなくて、重要なのはどうするかを決めないといけないということです。その自覚があって答えているかどうかということが需要です。決定するために普通の人にはない知識を使って欲しかったと思います。間違いを恐れて実行できないのは最悪です。現場は決断して最良と思われる方法を身が縮む思いでやっています。

日本語のもつ曖昧さ、実行力よりも誤ったことを言わないようにする気持ち、言い訳のうまさなんかは時によっては美徳になりえます。それは否定しません。今回の原発事故を見ていて、こういった日本的ものの見方やインテリみたいな考え方ががとても危険なものにみえてなりません。だれがやっても同じようになるのではないかと悲観的になります。

2011年5月18日水曜日

からだのままに

一冊の本を読みました。南木佳士さんのエッセイで「からだのままに」という本です。長野県の病院の先生でがん患者とかとの死に立ち会うことが多く、パニック症候群とうつ病に苦しみ、克服され、それからの静かな生活がつづられています。50才を過ぎてからの山登りとか水泳とか自然とのふれあいとか。

あとがきを読んでいたら、NHKの週間ブックレビューでの南木佳士さんへのインタビューの話が書かれていました。インタビューアが最後にきっちりと、
「こころのままに、ではなく、からだのままに、なんですね」
とまとめられたそうだそうです。

私も昨年、がんに罹ってから、そのことがとてもよくわかるようになりました。気持ちで何かをやりとげられると思っていた自分から、体にあわせて何かをやっていくことへの転換を考え始めています。体を感じていろんなことをするのがとても大事だと考えるようになっています。

きょうから会社へ持っていくカバンの中の本は「からだのままに」から「寝ても覚めても本の虫」に変わりました。本好き、特にミステリー好きの作者が書いたエッセーはわくわくします。何だかすぐにでもミステリーに手を伸ばしたくなっています。作者は児玉清さん。先ほどのインタビューアも児玉清さん。

体以上には生きられない。そのことを自覚して毎日の生活を送りたいという気持ちを起こさせてくださいました。ご冥福をお祈りします。

2011年5月16日月曜日

先送りできない日本

池上彰さんの「先送りできない日本」を読みました。

政治がはがゆい。日本の経済もはがゆい。そう思っていた時、本屋で見つけました。いろんなことを決断せずに先送りしてきたことが、ここにきてどうしようもなくなってきた。

原発の問題も専門家は当初からこのようなとんでもない事態をわかっていたのではないかと思います。はっきりとした証拠がえられなかったので、公表しなかったのではないか。推進してきた人たちはそういった状態を事実として認めたくなかったのではないか。そういうこともあって、根本的な対策を先送りしてしまい、あとの祭りになったのではないでしょうか。

事故があってすぐの時に中性子が屋外で検出されたというニュースを聞いて、それって放射化された核燃料の一部が飛び出してきていると思いました。しかし、ずっと、「とじこめ」の原則は確保できていると政府はいい続けてきました。しかし、中性子は内部と外部がつながってしまったことの証拠、閉じ込めの状態は破られてしまっていることの証だったと思いました。

エネルギー供給で原発をどう扱うかも先送り。年金、国債問題も先送り。簡単な問題ではないですが、もう、腹をくくってやるしかないのではないかと思います。50年前にもどれと言われるとさすがに厳しいですが、20年くらい前の生活状況なら我慢できそうな気がします。

2011年5月8日日曜日

平泉の思い出

英語でおしゃべりをしていたとき、ゴールデンウィークに東北を旅してきたという人がいました。平泉にも行ったということで、世界遺産のニュースが流れたばかりで、まったくタイムリーな話題でした。

わたしもかつて何回か行った事がありました。

毛越寺から達谷窟まで歩いて行って、切符売り場の人に帰りのバスのことを聞いたら、すぐのバスに乗らないと電車に間に合わないことがわかりました。しかたないので見ずにそのまま帰ろうとしたら、平泉にもうすぐ行く用事があるから一緒に車に乗っていきなさいと、切符売り場の人。それまで達谷窟を見ておいで・・・と言って下さいました。ずっと、昔の話ですが、東北の人の気持ちにふれた気持ちのいい旅でした。

金色堂もいいですが、一番すきなのは高館からの眺めでした。

夏草や兵どもが夢の跡」
The summer grass-
It is all that's left
of ancient warriors dreams

眼下をゆったりと南下する北上川が流れをそらす。背景には束稲山。

また、行ってみたいです。

2011年5月6日金曜日

日本国よ、しっかりして欲しい

あまり、政治の話は書きたくないんですが、政府や国会議員はいったいこの国をどうしたいんでしょう。被災者の人はがんばっている。民間もがんばって協力している。普通の人も電力の消費とかで気を使っている。自治体も、公務員もがんばっているのに、政府と与野党両方の国会議員は口ばっかりでだめだめというか、誠実さがないように見えてしまう。

首相の浜岡原発中止要請。ほんとかいなと疑ってしまう。他の原発はどうなんでしょう。全原発の地震の発生予想確率と原発の現状を提示して、こういう状況だから、浜岡原発のみが問題だからこれを中止させるみたいなことをきちんと提示しないと、まったく、信じられません。批判を回避したいのと何かやってるんだということをアピールしたいだけにしか見えません。

一方で、経産省は原発重視の方針を堅持すると発表し、正反対ともとれる見解を示しました。.

いったい、日本をどっちの方向に持って行こうとしているんでしょう。国は方向を決める力が無いように私には見えてしまいます。何も言わないと批判されるから、まったく、相反する見解を国が同時に出してその場しのぎをしようとしているようにしか見えません。それとも、浜岡原発だけをスケープゴートにして、他の原発は推し進めようという作戦なのか。

だめな政府です。国内外だれも信用していません。そこに暮らす人たちはどうすればいいんでしょう。今日はちょっと腹がたっています。

ずっと、前に、東京大空襲の話を読んだことがあって、その一節に感動をしたことがあります。空襲の2、3日後、焼け野原のなかで生きていることの証がちらほらと見え始めます。ほした洗濯物です。人間はすごいと思いました。うちのめされても数日後には生活を取り戻そうと活動を始める。誰にも頼れない。震災のあとの現地の人努力を見ているとこの一節を思い出します。国には頼れないので、ともかく、自分たちの手でできる範囲から生活を立て直そうと始めている。国よ、しっかり、してほしい。

2011年5月2日月曜日

歩いた!疲れた!

普段どおり、朝早起きをして、6km近く歩いたあと、何を血迷ったか、山の辺の道を歩くことを思いつき、出かけました。

天気は良かったのですが、黄砂のせいで遠方はかなりかすんでいました。桜井から天理への道筋はかつての大和王権の古墳とか古事記や日本書紀にでてくる神々を祭った神社があり古の時代に誘ってくれます。また、桜はもうおそいですが、春まっさかりで、山藤、ハナミズキ、ヤマブキ、菜の花、コデマリにオオデマリと沿道は花いっぱいでした。人と行き交うたびに挨拶をし、楽しい時をすごしました。
距離は16km、最後の峠越えはきつかった。疲れた!今日はじっくり寝れるかな。