2011年5月23日月曜日

原発は日本では無理?

原発で事故は絶対に許されない。

最近のニュースを見ていて日本では原発を運営するのは無理だという思いになっています。

技術的には高いと信じたいし、世界にも負けない技術力があると思います。しかし、今問題にしているのは技術的な話ではありません。原発を引っ張っていっている人たちの言動や組織的動きのまずさ、安全に対する向かい方、政治力の弱さ、いいのがれ、あげればきりがありません。本当は事故収束のために、日本の中枢が技術力を結束できるよう動かないといけないの、足をひっぱっているようにさえ見えます。
また、日本語は非常に曖昧で、阿吽の呼吸でコミュニケーションが図られます。文学上のことならとてもいいことだと思います。しかし、論理的にきちんとコミニュケーションをとらないといけないときに、此の曖昧さがでてくるととんでもないことが起きてしまいそうです。ひとつひとつ確認を取りながらコミニュケーションをとらないといけません。私も仕事で人に質問されたとき、よく、なんでそんなことを聞くのかと逆に質問します。それは、答えは1つではなくて、状況に応じた答え方をしないといけないからです。

重大事故の起きないよう何重にも安全策を打っていて、すべてがだめになる確立は殆どゼロに近いという議論がされます。ところが、これには、ひとつひとつの安全策がだめになるのは独立事象であるという条件があります。問題が起きた時に、連鎖的に次の問題がおきるようではだめです。対策がだめだと怒鳴り散らす首相、多分、それに呼応した電力会社。いずれもが、連鎖反応的に起きている事象です。

また、確率はゼロではないとコメントする委員長。そんなものは子供でもいえます。知識をきいているのではなくて、重要なのはどうするかを決めないといけないということです。その自覚があって答えているかどうかということが需要です。決定するために普通の人にはない知識を使って欲しかったと思います。間違いを恐れて実行できないのは最悪です。現場は決断して最良と思われる方法を身が縮む思いでやっています。

日本語のもつ曖昧さ、実行力よりも誤ったことを言わないようにする気持ち、言い訳のうまさなんかは時によっては美徳になりえます。それは否定しません。今回の原発事故を見ていて、こういった日本的ものの見方やインテリみたいな考え方ががとても危険なものにみえてなりません。だれがやっても同じようになるのではないかと悲観的になります。

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