2011年3月31日木曜日

家内が誤解した放射線モニタリングのこと

今日、原発作業者で全員が個人線量計を付けずに、代表者だけが付けて作業をしていたという報道がされていました。「つけてなくても、あとで作業後、放射線を測定すればわかるんじゃないの。避難者は避難地域からでてきてから測定してもらって、『大丈夫』とか言ってもらっていたじゃないの」。こう家内は言いました。

そうですね。わかっている人はわかっているのでしょうが、誤解している人がいるかもしれません。

放射線の害は放射線を人がどのくらい浴びるかによります。放射線を出しているのは放射性物質です。作業をしている人は放射性物質に囲まれて仕事をしているから放射線をたくさん浴びるので常にモニターしています。あとで測定しているのは体や衣服に放射性物質を含んだちりやほこりがついているかいないかを測定するのであって、その人がそれまでにどのくらい放射線を浴びたかはわかりません。どのくらい浴びたかはモニターを常に身につけてないとわかりません。もっとも、放射性物質を含むほこりが付いているとそこから放射線が出ますから常に被爆しかねませんので、厳に避けるべきことですが。

2011年3月24日木曜日

IT生活

いままで、携帯を持たなかった私でしたが、i-Phoneを買ってしまいました。

Wi-Fi(無線LAN)が便利かも知れない。これから、いろんな所で公衆無線LANのアクセスポイントが整備されていくと思います。

i-Phoneには音楽だけではなく、e-bookも入れてしまいました。pdfは字を大きく出来ないので、目の悪い私にとってはみにくいですが、e-Pubは大きく出来るのでみやすいことがわかりました。2冊いいれてみました。電子本は規格があってAppleのものはe-PubはOKです。i-bookstoreで入手できるとなっているのですが、ほとんどありません。外国にProject Gutenbergというサイトに永井荷風のアメリカ物語がありました。もう一冊はSigilという無料ソフトで作ってしまいました。少しの間、楽しめそうです。

2011年3月20日日曜日

2つの安らぎへの祈り

おととい、比較的、病院の検査結果が悪くなっていなかったので、努力のご褒美ということで欲しかったアクサンチュス室内合唱団(Accentus Chamber Choir)のTranscriptionsというCDを買いました。アカペラのとても美しい合唱が聞けます。無重力空間に浮かんでる感じです。

その冒頭に入っているのがバーバーのアニュスデイ(Agnus Dei 神の子羊)です。「神の子羊よ、かれらに休息を与えたまえ。慈悲深き主よ、永遠の休息を彼らに与えたまえ」のような言葉がつきます。この曲はバーバーの「弦楽のためのアダージョ」にアニュスデイの歌詞をつけたものです。弦楽のためのアダージョといえば映画「プラトーン」で流れる曲です。悲惨な戦場で人が倒れていくシーンでこの曲を聴いていると安らぎへの祈りを感じてしまいます。曲調としては短調で美しいというしかありません。

土曜は合唱の練習。そこではフォーレのレクイエムを練習していますが、ここにもアニュスデイがあります。こちらのアニュスデイも美しく静かで、バーバーよりも明るい感じで曲がはじまります。

合唱の練習の前、全員で黙祷をささげました。

波が人や物を飲み込んでゆく情景が目に焼きついています。放射線という目に見えぬ恐怖と戦いながらがんばっておられる人もいます。

2011年3月18日金曜日

腎臓検査の結果

月曜に行った腎臓の検査の結果を聞きに病院に行きました。結果は尿酸値以外は良好でした。尿中ベンスジョーンズもネガティブでした。尿酸値は前回とほぼ同じで8.3とやや高い。クレアチニンは1.2から1.1とやや下がりました(変化なしと見るべきでしょう)。摂取たんぱくも摂取塩分もよくコントロールできているということでした。こんごこのライフスタイルを続けて様子をみましょうということになりました。

病院にゆくとほっとします。毎日が忙しくて、解決しないといけないこと、やらなければいけないことが次から次に出てきます。ここ数週間ほど、休みの日ですら、いらいらし、気持ちがおちつきませんでした。今週はもっとひどい状態にあるのですが、今日病院にいくとほっこりしています。来週の月曜は春分の日ですが仕事です。でも、病院に行ったおかげでずっと連続していた緊張感がうまい具合にブレイクできそうです。ガンになって運命を受け入れ、そこから何が出来るか考える生き方をスタートした場所だからかもしれません。普通であることの大切さを実感させてくれる場所になっています。

2011年3月15日火曜日

ストレスor 減量?

ここ数日、夕方になるとふらふらします。以前に無かったことです。たちくらみのようなこともあります。空腹なのも事実。昨年九月からの体重減ももうすぐ19kg。一方、仕事を平行して何本もしないといけなくて、やってもやっても減りません。去年とちがうと感じるのは手の指が冷えることです。血行がよくないと思い、グーパーをするのですがいっこうに温まりません。暖かくなると直るのでしょうか?今日、本当は合唱の練習があったのですが、仕事が終わったら疲労感からその気にならず自宅に直行しました。来週の月曜は休日返上で仕事になりそうです。

2011年3月14日月曜日

本日、検査でした。不安。

前回。24時間の貯尿が2L 容器で不足してごまかしたこともあり、今回は水を飲むのを控えました。そしたら、1.5Lほどでした。今度は、すくなすぎるのではないかと不安です。結果は金曜日にわかります。血液もとってもらいましたが、なんだか、血管がはっきりしなくて針をさす位置を時間をかけてさがしてられました。このときも、不安でした。

2011年3月6日日曜日

最近、腰痛、なんで?

ここ一週間ほど腰痛がでています。体重が増えた時はよくあったのですが、今は、平均して減少しています。姿勢が悪いのだろうか。今日は一番ひどい。ストレスと腰痛は関係があるらしい。最近、仕事のストレスはひどい。仕事がどんどんたまってきていて、首がまわらなくなってきている。肩こりでなく腰痛か・・・・。まさか、腎機能が落ちているとか・・・。いずれにせよ、要注意。

2011年3月5日土曜日

梅は咲いたか、桜はまだかいな

朝のウォーキングで、ちらほら、白い梅、桃色の梅を見かけるようになりました。春が近づいてきました。

最近、期末が近づくと仕事が忙しくて・・・・。

ついつい、リラックスする生活を決断したのに忘れがちです。ウォーキングしながら仕事のことを考えてしまっている自分にふと気付きます。だめだな。

「春はすぐそこまできている」と言い聞かそう。

2011年3月4日金曜日

やっぱり体重が増えてしまった

昨日は、東京でお食事会をし、最終の新幹線で京都にもどってきました。気を抜いて食べてこととおみやげにチョコバナナを買って来てしまった。さらに、新幹線のなかでサンドイッチも食べてしまいした。どう見ても食べすぎですね。今日の体重70.5kgで70kgを超えてしまいました。

70kgにこだわる訳は、70kgというのは高校生のときの私の体重です。何かのときに聞いたのですが、高校生の体重を越えると要注意。その年齢あたりで心臓の成長もとまるからで、それまでは体重に応じて心臓も成長するが、それ以降の体重の増加は心臓への負担でしかない。真偽のほどはわかりませんが、自分で納得して目標に設定するのはいいんじゃないかな。

2011年3月2日水曜日

70kgが切れた

本日、体重69.9kg。70kgをクリアした。昨年9月12日の体重が86.9kg。手術前に、主治医の先生から手術がやりにくいから少しやせましょうといわれてから半年弱経過、17kg減らしました。本当はもう少し早く達成予定でしたが、お正月とか飲み会とが入り邪魔されてしまいました。明日はまた会食がよるあるので、70kg代に逆戻りすると思いますが、なにはともあれ結構なことです。

2011年3月1日火曜日

「今日という日は贈り物」:生きるとは?

ナンシーウッドという人の詩集。素敵な言葉がちりばめられています。

去年はじめて自分の死を考えました。その時から、今を大事にしようと考えるようになりました。

この本を読んだ時、星の王子さまを連想しました。

サンテグジェペリは好きな作家の一人です。サンテグジェペリは大人になりきれない人間だという批評をみたことがあります。そんな彼に感銘を覚える私はやはり子供なのかなとショックを受けたことがありました。

ナンシーウッドのどこがサンテグジェペリに似ているのかよくわかりませんが、私にとって、二人とも、一つ一つの文章を考えながら読みたいと思う作家です。

メモがわりに・・・数センテンス書いておこう。

「死ぬべく運命づけられていること、それは一日一日の目的を認識すること」
「人は永遠を持っていない。だったら、なぜどうすることもできないもののためにくよくよするのだろう
か?」
「恐れは人を身動きできなくする」
「尊敬とは対等であること、最悪の時にも」
「今日という日は贈り物。一瞬も無駄にしてはならない」
ー井上篤夫訳ー

私は携帯を持っていない。携帯メールの返事が返ってこないことを気に病む必要もない。また、携帯メールに連帯感を求めることも無い。ナンシーウッドは孤独の大切さを切々ととく。すべては一人の旅で、孤独がいろんな閉ざされたものを逆に開くと・・・・。

サンテグジェペリの人間の土地を読んでいると、飛行機のなかで孤独と戦いながら、人と人の気持ちをつなぐ郵便を運ぶ人の姿が見えてきます。この辺が二人が似ていると感じたのかもしれません。